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みんなで三内丸山遺跡へ・・

8月3日

猿賀神社を後にして北海道から南下してくるハピネスご夫妻を迎えに青森港に行きました。
無事に合流できて
歴史好きのシンゴさんがどうしても行きたかった三内丸山遺跡に・・・

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館内受付付近に縄文人になれるセットが置いてあり誰でも記念撮影ができました。
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ハピネスご主人に縄文人になってもらいました041.gif

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縄文時代にこれだけの集落があったのは世界的にも珍しいとか???

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歴史に興味がなかったマモさんと私はさ~~~っと見て入り口で待っていました042.gif

ここからはネットで調べた三内丸山遺跡の説明ですので興味のない方はスルーしてくださいね。

この地に遺跡が存在することは江戸時代からすでに知られており本格的な調査は新しい県営野球場を建設する事前調査として1992年から行われた。その結果、この遺跡が大規模な集落跡とみられることが分かり、1994年には直径約1メートルの栗の柱が6本検出され、大型建物の跡とも考えられた。 これを受け同年、県では既に着工していた野球場建設を中止し、遺跡の保存を決定した
遺跡は約40ヘクタールの広大な範囲に広がっている。集落は住居・墓・捨て場・大型掘立柱建物・掘立柱建物・貯蔵穴・土坑墓・粘土採掘穴・盛り土・道路などが、計画的に配置されている。

遺跡には、通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に、大型竪穴住居が10棟以上、約780軒にもおよぶ住居跡、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている。また、他の遺跡に比べて土偶の出土が多く、板のように薄く造られていて板状土偶と呼ばれる。次の縄文後期や晩期の立体的に体の各部を表現した土偶とは大きく異なっている。

遺跡から出土した栗をDNA鑑定したところ、それが栽培されていたものであることなども分かり、多数の堅果類(クリ・クルミ・トチなど)の殻、さらには一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどといった栽培植物も出土した。三内丸山の人たちは、自然の恵みのみに依存した採取活動ではなく集落の周辺に堅果類の樹木を多数植栽しており、一年草を栽培していた可能性も考えられる。このことを通してこの遺跡の居住者数は数百人と考える事ができる。平成6(1994)年9月に青森市で開催された「北のまほろばシンポジュウム」では最盛期の縄文時代中期後半には500人の居住者がいたのではないかとの発言があったが、異論も出た。[2][3]

それらは縄文時代の文化が従来考えられていたものよりも進んだものであることを示すものであった。遺跡は他の近くの遺跡に繋がっている可能性が高く、未だに全容は把握しきれていない。


by jijibaba0309 | 2016-08-30 16:53 | 国内旅行 | Comments(0)

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